【ネタバレなし】カーレ・ヘーデブラント×リーナ・レアンデション主演「ぼくのエリ 200歳の少女」とは?

この記事では、映画「ぼくのエリ 200歳の少女」のあらすじと見どころについてまとめています。

 

「ネタバレ」はありませんので、最後まで安心してお読みくださいね(^^♪

 

それでは、映画「ぼくのエリ 200歳の少女」について詳しくご紹介します!

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「ぼくのエリ 200歳の少女」とは

「ぼくのエリ 200歳の少女」キャスト

オスカー(12歳のおとなしい男の子、いじめられている):カーレ・ヘーデブラント
エリ(オスカーのとなりに引っ越してきた謎めいた女の子):リーナ・レアンデション
ホーカン(エリの父親):ペール・ラグナル
イヴォンヌ(オスカーの母親):カーリン・ベリ
エリック(オスカーの父親、別居中):ヘンリク・ダール
コニー(オスカーの同級生、いじめっ子):パトリック・ライドマーク

「ぼくのエリ 200歳の少女」スタッフ

プロデューサー:カール・モリンダ、ジョン・ノードリング
監督:トーマス・アルフレッドソン
脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
音楽:ヨハン・セデルクヴィスト
原作:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト

「ぼくのエリ 200歳の少女」の概要

「ぼくのエリ 200歳の少女」は、2008年10月24日にスウェーデンで公開されたホラー映画です。

一般公開の前にヨーテボリ映画祭にて上映され、トーマス・アルフレッドソン監督は北欧映画賞を受賞しています。

 

スウェーデンの作家ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストさんが2004年に発表した小説「MORSE-モールス‐」がもとになっており

2010年にはアメリカで「モールス」というタイトルで、本作に続き再び映画化されています。

 

本作の英題はLet the Right One In」。(スウェーデン語ではLåt den rätte komma in」)

 

これは日本語で「正しい者を招き入れよ」という意味であり、イギリスのアーティスト・モリッシーさん(元ザ・スミス)の曲にちなんだもの。

原作者であり脚本を書いたヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストさんがザ・スミス/モリッシーさんの大ファンだったことから、本作のタイトルが付けられました。

 

実はこの曲、本当のタイトルはLet The Right One Slip In 」

ところが英題をつけた英語圏の配給会社がこのことを知らず、“Slip”が抜けてしまったらしいのです。

 

ちょっとビックリですよね。

 

本作は専門家からの評価も高く、映画批評サイトRotten Tomatoesでは98%の支持を受け10点満点中8.3点を獲得しています。

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「ぼくのエリ 200歳の少女」のあらすじ

母子家庭でつましく暮らすオスカーは、学校ではいじめられ母親には本当のことが言えず居場所がありませんでした。

コニーたちから受けるいじめは度を越えたものになりつつありましたが、オスカーは彼らに復讐することを妄想するだけの日々。

 

そんなとき、オスカーたちの部屋のとなりに父と娘の家族が引っ越してきました。

アパートの中庭で遊ぶオスカーのところにその女の子が姿を見せるようになり、ふたりは会話をかわすようになります。

 

女の子は“エリ”という名でオスカーと同じ12歳らしく、いつも青白い顔をしていました。

そして秘密のモースル信号で、薄い壁を隔てて連絡を取りあうようになります。

 

オスカーは友達以上にエリに惹かれていき、一風変わったエリの様子など気にも留めていなかったのです。

 

そんななか近くの町で、木に逆さづりにされ血を抜かれた遺体が発見されます。

また、深夜に男性が少女に襲われるところを目撃する人まで出てきたのです…。

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「ぼくのエリ 200歳の少女」の見どころ

邦題ですぐにわかってしまうのが残念ですが、皆さんが考えるとおりエリ“200歳の少女”です。

彼女は人とは違う存在であり、自分が生きるためには誰かの命を奪う必要があります

 

「ぼくのエリ 200歳の少女」はホラー映画という触れ込みで視聴しはじめたのですが、そのイメージは根底から覆されました。

本作はファンタジー・ロマンス映画、それも思春期の若者たちの純愛物語です。

 

学校での執拗ないじめ、愛情を感じられない両親、圧倒的な孤独感と疎外感。

誰もが経験するであろう、思春期のポートレートです。

 

ただ心を奪われた相手が、「人間でなかった」という点だけが私たちと違うところ。

 

エリもまた、オスカーに惹かれる自分を持て余し、恐れ、戸惑っているんですね。

 

「ここにとどまって息絶えるか、別のところへ行って生き永らえるか」

 

エリオスカーに書き残したメモに、彼女の葛藤があらわされています。

 

これはエリの父親(実は本当の父親ではない)が、不遇の死をとげたことに由来しているのですが

気が遠くなるほど生きてきたエリは、そういう不幸を何度も何度も見てきたはずです。

 

おそらくオスカーを同じ目に会わせていいのだろうか、と考えたに違いありません。

そして自分の存在を呪ったかもしれませんね。

 

エリオスカーの関係は、とても悲しいものです。

 

しかしスウェーデンの音楽家ヨハン・セデルクヴィストさんが作った劇中の曲は、希望に満ちたロマンティックな曲。

映画の雰囲気とは対照的に、美しく感動的なものでした。

 

ふたりの世界が、純真無垢であらんことを…。

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「ぼくのエリ 200歳の少女」についてまとめ

邦題には「200歳」と記されていますが、エリが自分の年令を明らかにするシーンはありません。

 

そして「(自分は)女の子ではない」というセリフがありますが、これは本作の核をなすことばです。

 

しかし映像化するにあたってふさわしくないと判断されたのか、修正画像が使われています。

撮影段階でもこの側面をしめすエリの過去を、フラッシュバック的に撮影したそうですが、そのシーンは削除されました。

 

物語の核心を突くものだっただけに、できれば全部を見たかったと思います。